ちわきにくおどる

そんな気持ちにさせてくれ

2021年版舞台「風が強く吹いている」ー清瀬灰二は箱根で頂点を見るー

舞台「風が強く吹いている」

2021年6月16日~6月20日 六行会ホール

 

 ※副題にしている冒頭はポエムなので純粋な感想を読みたい方は飛ばしてください。

 

 

 

陸上競技はシンプルだ。走る、飛ぶ、投げる。日常的な動きを競技のためだけに改善し、身体を作り上げ、精神を研ぎ澄ます。その心身ともに鍛え上げられた体が描く動作はダンサーと見紛うほど美しい。時として「走る」という単純な動作だけで人は感銘を受ける。その感動を「風が強く吹いている」では幾度となく味わうことができる。

 

 

清瀬灰二は箱根で頂点を見る


箱根駅伝は東京・箱根間を1区間約20kmを10人の選手で襷をつなぎ、2日かけて往復して総合タイムを競う。最も早く東京から箱根まで行って帰ってきた大学チームが勝ち、というシンプルなものだ。(陸上競技全体的がシンプルといえばそう)

単純にタイムの良い選手を揃えれば良いとも限らず、区間賞をひとつもとっていないチームが優勝することもある。1区から10区までのコースはそれぞれ特徴を持ち、作中の説明の通り適性が大きく異なる。それを上手く組み合わせ、当日選手たちの体調、他校のオーダーを予想し各区間に配置する駆け引きもある。自己ベストタイムが大会時に出せるとも限らず、ほんのわずかな体調の変化が選手の実力を左右する。

複数人でタイムを競う駅伝はゴールするまで何が起こるかわからない。1区で最下位だった学校が10区で1位になるのも不可能ではない。例え誰かが良い走りができなくともみんなでタイムを削り出すこともできる。逆に誰か一人、区間新記録をとろうとも優勝できるわけではない。そこが駅伝の魅力だと思う。

また大会のなかで優勝・連覇・初優勝・過去最高順位・来年のシード権・区間賞・区間新・自己ベスト更新・繰り上げなしの完走・出場、と各校・個人で目指す頂点は無数にある。

走りはシンプルな競技だが、何を頂点にするかは自身が決めるのだ。

「たとえ俺が一位になったとしても、自分に負けたと感じれば、それは勝利ではない」(六道大・藤岡一真)*1

 

清瀬灰二は不思議な男だ。人当たりもよく竹青荘(通称アオタケ)の住人たちの食事を作り、みんなが寮で過ごしやすいよう気遣ってくれる。穏やかで笑みを絶やさず爽やかな好青年だ。

しかし、走りへの執念は常軌を逸している。 

独自で練習メニューを編み出し、陸上経験のないものを箱根駅伝予選会に出られるまでに仕上げるのは並大抵のものではない。しかも灰二はタイムが伸び悩んでも本人を攻めず、励まし、根気強く練習に付き合う。怒ることはないけれど、けして妥協を許さない姿が尊敬と同時にどこか畏怖を感じさせる。

あの夜、かけると出会わなかったら?アオタケのメンバーが10人揃わなかったら?揃ったとしても予選会出場に必要な公認記録を出せなかったら?無数の「もしも」があるにも関わらず灰二は幾多の問題を気にもせず黙々と練習をこなし、陸上未経験ばかりのアオタケの住人たちを立派な長距離ランナーとして育てていく。

記録会でも順調にメンバーのタイムを縮め(舞台の尺の都合上みんな上達がめちゃめちゃ早い)、予選会へと進む。

 

予選会は本番の大会とは異なり集団で固まって走る場面が多い。そのためペーススピードに差があるので無理に前方集団についていけば力のないものは失速しタイムが悪くなる。各々のペースを守るために、仕掛けるタイミングをチーム内で決めている。

タイミングを決めてサインを出すのはリーダーである灰二の役目だ。折り返しの10km地点でまっすぐ伸びる灰二の腕から選手たちに送られるハンドサインは合図であり、選手たちへの激励でもあった。背を向けている灰二からは見えないが皆、親指を立てて返事をする。無言で交わされた10人の掛け合いは美しかった。

王子の走りや灰二の叱責により力を取り戻した走の美しい走りは、寛政大のメンバーに力を与えた。

だが全員力走を見せても予選突破の厳しさは変わらない。歴代出場校、優勝経験校でも予選会を突破できない時もある。現実の厳しさは灰二が一番わかっているはずだ。

 

そして総合タイムによる結果発表。残り一校となっても寛政大の名前は呼ばれない。ほとんどの者は目を瞑り祈る。神童は顔を上げているが不安気に周囲に目を動かす。

そんななか灰二だけが掲示板を睨み、見据えていた。1位の発表時から一度も反らすことなく、瞬きもせず(少しするけど)、固く口を結び、「寛政大学」の名前を待っている。その眼光の鋭さは彼の走りへの執着心を物語っていた。

同時に、握りしめた手が小さく震えているのを見て、灰二の4年間に込められた希望と一度切りの賭けの重さは誰にもわからないと悟った。わたしたちの脳裏に浮かんだ無数の不安よりもはるかに強大なプレッシャーに耐えてここまで来たのだと思うと、できた人間性でありながら人間味の薄かった清瀬灰二が途端に近しい存在に思えた。

後にも先にも灰二が自身の感情で顔をゆがめるのは8位で寛政大の名前が呼ばれ、箱根駅伝出場が決定した一瞬だけで、すぐに元の人当たりのよい笑顔に戻り、走の肩を叩く。予選会突破の時に見せたアオタケのメンバーも知らない灰二の表情は彼が途方もなく形もないものに込めた思いの大きさを物語っていた。

 

そして灰二と9人の夢を託した箱根駅伝はスタートする。各々が走る意味を見出し、箱根を走ることでしか得られないものを手にしていく。

見ているものは違うけれど、次の走者に襷を託し、10人の夢を紡いでいく。

9区の走から襷を受け取り、灰二は最後に走り出す。大手町を目指して。途方もなく遠かった頂点を目指して。

 

10km地点で灰二の脚に異変が起こる。それでもなお10位のシード権を獲得するためにタイムを縮めるために、灰二はスピードを緩めない。

日本橋の高架下から復路優勝校から5番目に姿を現す。最後の直線を全力で走ってくる。同じ有力な長距離選手の走の目には灰二の脚が限界を超えているのが見えている。もう二度と走れなくなるほどの致命傷であるのを瞬時に理解する。

それでも灰二を止めることはできない。なぜなら彼が羨望した走りを今まさに手に入れようとしているからだ。

 

「走りは俺を裏切った、と。でも、そうじゃなかった。もっとうつくしい形でよみがえり、走りは俺のもとに還ってきてくれた。」(清瀬灰二)*2


1月3日の大手町で陸上選手としての命を灰二は失うが、怪我をする前の彼では手に入れられない尊く美しいものを手に入れた。

寛政大は11位の東体大と2秒差で総合10位となる。惜しくも6区のユキが届かなかった区間賞と同じ2秒差で寛政大は初出場にして初シード権を取った。

灰二は10人の汗が染み込んだ襷を掲げ「頂点は見えたかい」と問う。

10人が見た頂点からの景色はそれぞれ違うだろう。だが全員同じ夢を見、確かに叶えたのだ。10人でなければ手に入らなかった「走り」を灰二は自らの手で掴みとった。

 

 

 

 

 

舞台演出について

ここでは原作と今回の舞台版の違いを中心に書いていこうと思う。

単純にわたしが映画を見ていないくてアニメを見たのも数年前なので記憶が薄れていて、舞台直近に原作を読み返しただけなのだが。

 

長編小説をメディアミックスする際、映画や舞台は尺がどうしても短くなる。そうなると描き切れない部分が多くなる。

そこで何を重要視するのかが大切になる。テーマに一貫性を持たせれば、個人的にはカットは気にならない。

2021年に上演された舞台では、かけると灰二を中心に一人一人の駅伝シーンの独白に重心を持たせた。

 

一幕は走と灰二の出会いから箱根駅伝前日までを描き、二幕は箱根駅伝のみとした。

前述したが尺の都合上、練習から記録会、予選会は足早に描かれる。個性と相関図はなんとなく把握できる程度で個人の人となりはまだ見えてこない。

そして二幕で箱根駅伝の幕があがる。

すると一幕で見ていた八百屋舞台の先に倍の長さの八百屋舞台が伸びている。

記録会、予選会と大勢で走る場面の多かった一幕から、箱根駅伝のシーンのみとなる二幕で一幕より広い舞台でぽつりと一人で走る演出は長距離走の孤独が見事に視覚化されている。

そしてそれぞれの選手たちの独白によって彼らが何を思い何のために走るのか、客席は理解する。

 

原作とは違う設定となったキャラも多い。(例えば原作では漫画オタクだった王子がゲーム配信者に書き換えられている)(令和~)

一番の変更点はなんといっても5区の神童ではないだろうか。

原作ではインフルエンザによる高熱を出したまま6区のユキに介抱されながらスタート地点に立つ。みんな神童の不調を知りつつも控えのいない寛政大は彼を走らせるしかない。

しかし今回の舞台版では調整不足による片頭痛で思う走りができない展開となる。神童の不調に気付くのも襷を渡したジョージのみだ。

時世や無理をして走りぬく姿を美談とする危うさに配慮したのだろう。個人的には一番苦しく涙した場面だったので改変を残念に思ったが、コンプラ配慮という観点では上手くハマったように思う。少し話がそれるが新型ウイルス流行後、演劇界ではそれとなくほのめかす演出が増え、本公演も禍により延期された上の上演だったので舞台を観ている間はそれらのことを忘れたいと思う層も多くいるので「高熱」という連想させるものを排除させたのはよい脚色だと感じた。かくいうわたしも昨年目当ての役者が風邪で降板した苦い経験がある。(隙自語)

インフルでなくても競技中に体調を崩し有力なランナーが沈む場面は多々あり、歩くのでさえつらい状況のなか一人で走り切る神童の姿は客席の胸を打つ。「強い走り」を体感できたように思う。

 

もうひとつ、良い脚色だと思ったのは8区キングの設定変更だ。

原作ではクイズ王を名乗るがクイズ番組には出ずテレビより早く答えるのを目的としているキングだが、ここでは小説家を目指し博識ではあるが作品を書き上げたこともなく、小説家では食えないから編集者になろうと就活をしている。

「小説家を目指していると言うが一度も作品を書き上げたことはない」と語るだけでキングの実力に伴わないプライドの高さが伝わる。自分もこうして観劇してぐだぐだ言うがおもしろい創作物を作れないので耳が痛い。

また全員と仲良くはできるが特定の仲の良い友人ができないと語る際にアオタケメンバーがペアになり登場する。誰ともペアになれないキングは確かに孤独に見える。一幕の宴会シーンでもテーブルには着かず一人床に置いたPCに向かっているのもサブミナル効果を生み出す。だがアオタケのメンバーは移動し、背を押すようにキングの後ろに一直線に並ぶ。その時の心強さは彼らの絆の強さを物語る。

他の区は一人で走るシーンが続いていたため8区のキングで全員が現れる演出は他の区間と差が生まれ、全区間の演出としては一番気に入っている。

 

最後に演出というより、お芝居についてだが、実は初日からずっと10区の最後の直線で灰二が転ぶ芝居が好きではなかった。原作で灰二が転ぶシーンがないのはもちろんだが、走ってくる灰二の脚の限界に気付いているのは同じ優秀な長距離ランナーの走だけなのだ。他のアオタケメンバーに気付かれることなく灰二は全速力で駆けてくる。寛政大のシード権を掴むために一秒を惜しんで。

その灰二がゴール直前で転ぶわけがなかろう!?!?例えバランスを崩しても、あの人は執念でスピードを緩めないよ!!ともやもやしていた。

やはり転倒くらいわかりやすいアクションや大げさに描かないと伝わらないものなのかな、演出家が選んだからそうなんだろうな、と自分を納得させながら見ていたので楽日で灰二が転ぶ演技が一切なくなっているのを見た時、「これこれこれ!!これが見たかった!!!!!」と内心ガッツポーズをした。よろめき膝をかばい、苦痛に顔をゆがめるが走るフォームは変わらない。何より痛みに耐えながら、走る灰二の演技をする松田くんの表情が素晴らしい。切望していたものを今まさに掴み取ろうとしている恍惚が眩しい。

楽日に演出に対する不満がなくなったことにより集中力が格段に上がり、灰二への感情移入がマリアナ海溝となり、灰二が一番欲しかったものを手に入れられた喜びに涙が止まらなかった。

 

 

その公演が見られるのが下記のディレイ配信です。DVDとは収録日が違うのでぜひご覧ください。というかこの宣伝をするためにはてブロ更新したところがある。

 

 

ディレイ購入はこちらから

・視聴チケット(一般) 3,500円(税込)

・視聴チケット(特典付き)5,000円(税込)

※配信開始から48時間視聴可能

 

配信日時:2021年7月10日(土)18:00~7月12日(月)17:59

 

配信企画:2021年7月18日(日)18:00~7月20日(火)17:59

 

 

キャストについて

初めて拝見する方が多かったのですがキャストのみなさん素敵な方だというのが伝わってきました。他校もアンサンブルもはなちゃんも良かったのですが長くなるので寛政大メンバーから数名抜粋します。

 

清瀬灰二を演じた松田さんに関しては特別枠で長文ポエムを書いてしまうくらいよかったです。

 

ニコチャン先輩を演じる足立さんの抜け感のある演技が目を引きました。オアタケのなかでは(世間的に25歳は若者よ)おじさん感と大人の余裕のバランスがよく、27歳であの絶妙なかっこよさを保ったままおじさんっぽさを醸し出せる人は少ないと思うので、役で化ける人だと感じさせるものがありました。

もうひとついい役者だなー!と思ったのは7区で、客席に背を向け坂を駆け上りながら独白をするシーンがあるのですが、背を向けても正面を向いているのと変わらないほど声がよく通る!そう!総合的に技術が高い!発声のよい声って聞いているだけでこんなに気持ちのよいものなんですね。

独白の流れも、茶目っ気ある出だしの語り口から過去の陸上経験での悲しい思い出を語る寂しそうな表情、シード権を狙うと前を見据えた時の力強さ、とその時その時でニコチャン先輩の印象が変わるので上手いな~と思いました。

あとミスを責める意図はないですが、他のキャストが出が間に合わなくて台詞が途切れた時も自然に代わりに繋いだのも上手かったです。たぶん初見はわからない。

 

演技ではないのですが神童役の磯野さんは、自己紹介後のキングとのクイズシーンと双子の恋の予感のシーンで日替わりをして、一笑い取っていくので器用な印象を覚えました。たぶんあのシーン台本通りにやったのは初日だけかと思います。知らんけど。

 

これも演技ではなくメタに入ってしまうのですが、双子の襷リレーが原作ファンから見れば本物の双子が原作通りに走っているように見えますし、双子のファンとして二人もジョータジョージと近しい経験をしているのを聞いているのでフィクションとノンフィクションの重なりがおもしろかったです。

 

かけるを演じる堂本くんは以前から番ボでよく見ていたのですが、台詞に感情を乗せるのが上手いし、表現の幅が広いなぁと長い独白のなかで改めて感じました。

そして、本当に最後まで走ってくれてありがとうございました!お疲れさま!!

 

 キャストのみなさん、スタッフさん方、本公演を上演してくださり、誠に!ありがとうございました!

 

 

 

楽日後おまけ話

千秋楽後のSR配信で要くんが「客席で涙ぐむ人を見て原作のもつ力の大きさを感じた」と話してくれて、原作も要さんも好きなので嬉しかったですね。

素敵な原作を舞台で表現するにはその原作の力と同じくらい力が必要ですし、それは役者さんたちの努力によって作り上げられたものだと考えているので、役者の熱演を受け取った客席を見て、原作の力を感じてくれて、原作ファンのわたしも要くんファンのわたしも一度で二つの嬉しさを感じた言葉でした。幸せのウロボロス

 

 

 

*1:引用元・三浦しおん(2006)「風が強く吹いている」新潮社出版

*2:引用元・三浦しおん(2006)「風が強く吹いている」新潮社出版