ちわきにくおどる

そんな気持ちにさせてくれ

けむりの肌に 感想

 

公式HPよりあらすじ

『澄乃が死んだ…』

久々の電話で理人が言った。 自殺らしい。それで、僕らは集まる事になった。広田理人と長谷部サラサ。 僕らは学生時代、よく4人でいた。あの頃は何をしてたっけ? 少し思い出してみる。澄乃と過ごした… ぼんやりした風景も… 何気ない会話とか…

しばらく会ってなかったら、もう二度と会えなくなった。
「こんな事なら、電話くらいしてやれば良かった…」
僕は澄乃の事が苦手で、大人になって全然会わなくなったけど、 僕は、今やっと、久々に、あの子の事を想ったりする。あの子が死んでからの、残された人らの、その後の話です。

http://kijyooo2013.com/kemuri/

 

 

 

ネタバレしまくりです。

特にラストは配慮なしです。

 

 

 

 

前半は会話中心で、普通に生きていたら、たまに出くわすイラッとする場面だが事件が起きるようなものではない凡庸な苛立ちをリアルにコミカルに描いていく。銀橋のような円を描く段差と舞台の至るところに置かれた椅子と机のセットを通して、主人公の職場、居酒屋、撮影先、過去の大学生時代と暗転を使わず、台詞を繋いだまま場面転換していくのが巧みでその技巧を楽しんでいた。

 

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※ロビーに置かれた撮影可のセットミニチュア

 

だが後半の一つ一つを見れば些細なことだがそれらが積み重なり、さらに過去の澄乃との思い出が交わり、茂木が激昂する場面でじっとりと湿っているような不快が恐ろしさと悲しみに変わる。恐ろしさは茂木を演じる安西くんの演技力の賜物だが。(怖すぎて初見は泣いた。最高。狂気を吸えて満足)

それに伴うかのように周囲の環境も悪くなり、俳優の仕事は好転していくのに曇天のままである。

 

そんななか、澄乃の職場の後輩だったという木南がリモートでもいいから学生時代の友達と彼女の話をしたいと持ちかけてくる。

茂木、理人、サラサと4人でリモートで弔い会が始まると茂木の知らない出来事を彼は知らされる。それは澄乃が彼の出演する戦隊モノの初回をリアルタイムで見ようと二人を誘い、三人で盛り上がりながら視聴したという思い出だった。彼が知らなかったのは当時撮影で忙しかったため話す機会がなかったからであった。

茂木は学生時代、澄乃に告白し友達でいようと振られている。

澄乃が自殺をした日、茂木の元には彼女から電話がかかってきていた。

茂木は電話に出なかった。なぜならバイト先で仲良くなった二十歳の女の子の家までつけていき、カーテンを開けっぱなしのまま着替え始めた彼女を見ながら抜いていたからである。(最悪。気持ち悪い。最低すぎる。満面の笑み)

木南は澄乃に婚約者を取られ、それを職場全員にバラして病んで勝手に死んだ、その話を彼女を知る人全員に伝えたくてこの会を開いたと告げる。

自分が見ているのは、その人の一部分であることは自分が立場によって振る舞いを変えていることから充分に理解しているが、こうして多面的な部分を一度に見せられ、直視させられる居心地の悪さと自分はその人のどの部分を信じているか、いたいかを観劇しながら考えてしまった。

 

作中半ばで、死んだ人間に対して生前連絡をとっていなかったくせに「もっと会って入れば」「もっと話していれば」と思う生きた人間の身勝手さを見させられるのも良かった。

その時その時で一緒にいて楽しい人としか人間関係を築かないくせに、会わなかったということはそこまで付き合いたいと思っていなかったくせに、なんでもっと会いたかったなんて言えるのだろう。会って話していれば、その人の自殺を止められるほど濃い関係になれたかもしれないと思うのだろうか。生前、希薄な付き合いだったくせに。

 

このような関係はいくつもあるし、全員と深い関係をしていたら疲れてしまうし自分には無理な話なのであまり思わないようにしている。これは脚本家が観劇者に明確に伝えたいものではないし、わたしが勝手にストーリーをみながら思ったことなのでだが、おそらく観た人の人生の送り方で感じるものはまた変わってくるだろう。

これはこういう話です、問題提起したいのはこの話題です、と明確な意思表示なしに観客に色々汲み取らせるといった面ではこの脚本は非常に素晴らしかった。

 

わたしは彼女の描いた空っぽのバケツが実はこういう意味だったんじゃないかとわかる終わり方なのでハッピーエンドだと思います。