ちわきにくおどる

そんな気持ちにさせてくれ

オートフィクションー本気ではないが死にたいー

入社二年目にして会社のトイレで泣くのは二度目だ。

一度目は初めて大きなミスをして先輩と取引先に頭を下げて回った時。

二度目の今回は何もミスをしていない。ただ三日後に出張が決まり休日出勤となっただけだ。そう、ただ仕事の日程が決まっただけ。

それでも耐え切れず、眠気覚ましを装ってトイレへ逃げた。

何故なら、半年間楽しみにしていた舞台に出張が重なったからだ。

三日あるし今から交換を探して駆け込めるかもしれない。いや無理だ。平日はとても間に合わないし、土日は出張だ。手元にあるチケットは前楽の一枚だけ。誰かに譲るしかない。

人気舞台なので一枚しか取れなかった。平日は仕事で行けないため必然的に土日に応募することになる。そうなるとますます倍率は厳しくなる。今回のチケットは運良く前楽を取れた。他の土日に当日券やキャンセル待ちに望みをかけて劇場に向かったが一度も取れなかった。きっとこのチケットで運を使い果たしたのだろう。当日券に外れても一度は観られると思っていたので気持ちに余裕はあった。でもたった今、観ることができなくなった。

上司から出張の説明をされている時は、メモを取りながらも頭の中では舞台のことを考えていた。交換の予定をすぐさまシュミレートしたが三日後ではどうしようもない。

少し遅れてでも入ろうと切り替えたが、この出張は四カ月前にも行った全く同じ場所で同じ担当者との仕事である。四カ月前の出張でも同じ状況になり、予定通りに終われば三十分の遅刻で劇場に入れなくもなかったが案の定一時間近く会議が伸び、都内に戻って来られたのは舞台が終わる時間だった。解散した品川駅で仕事用の鞄に入れてきたチケットを思って少し涙目になった。

今回も全く同じスケジュールで、しかも舞台の開演時間は前回より三十分も早い。間に合わない。

ダメだ。

そうわかった途端、虚脱感に襲われ、胸のあたりが重くなった。前回、品川駅で感じた悔しくて悲しい気持ちがよみがえってくる。あの日は苛立ちと悲しみで世界が赤黒く見えた。あの気持ちを思い出している今、少しだけ世界が赤黒く見える。

出張当日のスケジュールと内容の説明を聞いたあと、自分のデスクに戻らずトイレへ向かった。

明らかに表情と態度で今回の出張に抵抗しているのがバレていたとは思うが、そんな配慮はとてもできなかった。

そして今、トイレで泣いている。

 

 くだらないことで泣いているなと我ながら思う。

舞台を観に行けなくなっただけで、いい年した成人が泣くなんてくだらなさすぎる。わかっている。

だけど、どうしようもなく悲しい。

ずっとずっと楽しみにしていた。今月は終電で帰る日も多かったけど、今週末の舞台のことを思えばがんばれた。ここを乗り越えれば大好きな舞台が観られる。それだけを楽しみにして、励みにして今月はがんばってきた。だから仕事で潰されてしまったことが一層悔しくて悲しい。

働かなければ給料はもらえない。給料がなければチケットも買えない。だから働いている。でもチケットを買えても仕事で劇場に行けなければなんの意味もない。ひどい虚脱感だ。

個室に入ってから5分は経っただろう。時間の感覚がなくなってきているのでもしかしたら10分は経っているかもしれない。やばい。そろそろデスクに戻らないと怪しまれる。というか残業が伸びる。今日もやることはアホ程あるのだ。

頭では一刻も早く立ち上がらないといけないことはわかっていても、悔しさと虚しさと悲しさで体が重く便座にはまってしまったかのように体が動かない。この際、涙目になっているのはあきらめよう。上司はともかく一部の同期なら察して同情してくれる。

焦点が合わないままトイレのドアを見ていたら、電気が突然消えた。会社のトイレは一定時間、人の気配がないと自動で電気が消える仕組みになっているのだ。電気が消えたということはわたしが個室に閉じこもっている時間がかなり経っているはずだ。10分以上は過ぎている。さすがに、まずい。

慌てて立ち上がると電気はすぐについた。軽く手を洗って、鏡でアイメイクを確認、よれたラインを涙ごとハンカチで拭きとった。

悲しみはまだ重くのしかかっている。今はまだ振りほどけない。目も少し赤い。

舞台に行けなくなっただけで、会社のトイレで泣いていたわたしを馬鹿だと思うならそう思えばいい。実際、馬鹿だと思う。

それでも、わたしにとってはとてもとても重要なことなのだ。