ちわきにくおどる

そんな気持ちにさせてくれ

舞台「象」感想(追記あり)

「笑顔は服従のサインだ」

 


安西くん演じる松山はサーカスの団員たちにバカにされても、利用されても、怒鳴られてもへらへらと笑うだけで物事を自分で決められず、どうしたらいいか問い返す。

幼少期に父親に虐待される度に上記の台詞を言われていたのを冒頭のシーンで知っている観客は彼の情けない笑顔は生き残る術だと理解できる。けれど彼の過去を知らなければ、愚鈍な印象を与える。

不快なことをされても笑ってごまかした経験がある者なら、松山の笑顔に共感できるが同時に過去の自分も含めた情けなさに苛立ちを覚える。


安藤や苫坂など、わかりやすく利己的な人間は以前なら嫌な人物として不快に映っていたのに、「象」では生きやすくていいなと思ってしまうのは、根本が良い人間側だが結果的に象を殺す側についてしまうブレる過程を見るからかもしれない。


明確な悪はなく、団員たちは自分自身や家族を守るために倫理に外れる行動を選んでしまう。抵抗したくても象を助ける打開策もなければ金もない。観客はずっと居心地の悪い空間を共有させられる。


松山が逃がした象はどうなるかはわからない。

けれど、自分の意志で象を逃した松山がクラウンになりたいと思った時の「光がほうっと差して、頭の氷が溶けるような」シーンで終わる。松山が新しくなりたいものをみつけた瞬間で梯子の先には彼が望む未来があると信じたい。

 

 

 

※追記

手紙が上手いことまとまったので、一部抜粋して推しへの手紙を感想として流用します。

 

舞台「象」千秋楽おめでとうございました。

(中略)

劇場に入った瞬間、四方に垂れた電飾がサーカスのテントを思わせ、客席間近というか着席する際に通る場所にも置かれたペットボトルやビニール袋がセットの一部として置かれていて会場に入った瞬間から舞台の一部に吸い込まれるようでした。

物理的にも体感でも且弥さんの言っていた、「舞台と客席の境があいまい」で目の前で起こっていることが生々しく伝わってきました。

ワンシチュエーションで派手などんでん返しがなく、ただただ人の露悪的な場面が続き、観ていて楽しくはないのですが、役者の芝居と演出が作り出す空間に圧倒されて不快ではありますがカタルシスに心地良さを覚えました。


ポスターに「笑え笑え」とある通り、劇中で見せる安西くんの松山はさまざまな笑顔をしていて、けれど喜怒哀楽の喜楽を含んだ笑顔ではなく確かに笑っているけれどさまざまな感情を含んだ種類の違う笑顔を繊細に表現していました。父親に笑えと命令され手で顔を歪める笑顔は恐ろしいピエロのようでぞっとしました。ノアの団員たちと話す時の自虐的な笑いは見に覚えがあり共感と哀しさを感じました。

つらい過去を強調せず普通の人として演じることで、物事を決められない愚鈍な人物に映り、フィクションのなかにリアリティを感じさせる演出でした。

前半は気弱な青年だった松山が、団長に象殺しを託されたあと同一人物とは思えない迫力と狂気(とは違う気もしますが言葉がみつからないのでこれで)で、前半とは違う「笑ってください」からの笑顔もまた恐ろしさがありました。幼い頃、命令された「笑え」をアドナイと団員たちに命じた松山の心情は理解できなかったのですが、理解できないことをマイナスに捉えることはなくありのままを享受し考え続けるのがおもしろかったです。

獣舎で一人、アドナイと対峙するシーンも同じ舞台上なのに音響も相まって、より狭く行き詰まった場所に見え、その中で銃を自分の口内に突きつけるシーンは圧巻でした。一度だけLブロックで見た日があり、あの時の顔はLでしか見られないので他の日に想像で補っていたものがいざ目の前に現れると想像より鬼気迫る形相で息を飲みました。

最後のアドナイの「心打たれるマイム」は、松山とアドナイが重なるように見えました。アドナイを自分の意志で逃したように松山も檻を壊すことができるのに気付いておらず、ずっずっ、と檻を掴んで体を揺らす際に床と膝が擦れてなる音がわずかな動作しかできない閉塞感を表しているようで耳に残っています。ラストシーンのマイムのようなダンスは、プロダンサー並みの肉体言語に優れていて松山でもなく安西くんでもなく感情そのもののように目に映りました。梯子の周囲を綱渡りのように、空を歩くように踊る姿は高度な技はないのに存在感と安西くんの身体から発せられる肉体言語に気圧されました。特別な動きはないのにプロのコンテンポラリーを見ている感覚に近くて安西くんの表現力の底知れなさに感嘆するばかりでした。

梯子を登っていく松山はクラウンを志した時の「光がほぅっと差して、頭の氷が溶けていく」ように見えて、何ひとつ言葉では説明されていませんが、わたしにとってはとても前向きで未来のある終わり方でした。


冒頭に書きましたが、「象」はエンタメ作品ではないし、約2時間居心地の悪い空間に閉じ込められるのは精神的負担が大きかったですが、緻密に作り上げられた世界を目の前で体感している心地よさが勝りました。体力のいる舞台で見る方もどっと疲れましたが。(笑)

松山も含めて全員が大なり小なり嫌な要素を持っていて、誰のどんなところが一番嫌かを話せばその人の人となりがわかるような登場人物でした。

ちなみにわたしが一番嫌なのは団長です!(笑)前時代的なセクハラをコミュニケーションとしているところや、感情で人をコントロールするところ、立場や権力を使って人を都合のいいように動かすところが、もう!だめです!!(笑)このねとねとした嫌な感じをお芝居で表現する大堀さんの上手さが素晴らしかったです。でも全ての元凶はお金を持ち逃げしたオーナーだと思います。

苫坂やアンドリューも利己的でとても嫌な人間でしたが、苫坂はまりちゃんのため、アンドリューはお金、とわかりやすく筋の通った行動原理がある分、松山や根本より生きやすそうで羨ましいな、と思ってしまうほどでした。アンドリューは一番意地汚い人物でしたが、嶺くんの持つ魅力で憎めないところもあり、重苦しい中で息抜きをしてくれる良いキャラクターでした。眞嶋くんは桃城役以来に舞台上で拝見したので、苫坂の鋭い存在感に以前見た時とのギャップを感じました。また短い稽古期間の中、ベテランのキャストさんと同等に仕上げてくる技術力に驚きました。

根本はおそらく一番お客さんが感情移入しやすい人物だったのではないでしょうか。誰もが倫理的な行動と選択をしたいと思っていますが、生活のためには納得できない選択を選ばざると得ない時はがあるはずです。根本(こんぽん)は良い人だけれど象を殺す選択を選んでしまう、ブレがあるにも関わらず人間臭く描ける伊藤さんの説得力のあるお芝居は素敵でした。

修子さんは今回初めて拝見しましたが、公演前の取材等で且弥さんが修子さんは修子さんでしかない、とおっしゃっていた意味がわかりました。個性が強いけれど、舞台では普通の人に見える塩梅が独特でした。

実は安西くんが出ている以外のシーンで一番好きなのは、まりちゃんが最後に立ち去る際に鍵を捨てていくシーンです。ずっと自己犠牲の行動をとってきた彼女が無慈悲に吹っ切れたように鍵を捨てていく姿は、彼女の本来の真の強さを垣間見たようでした。且弥さんの話していた鎌滝さんの「透明感を持っているのに透き通っていない」印象が最後に見せたまりちゃんの強さに説得力を持たせていました。

そして役者ではなく演出家としての且弥さんの世界観が、こんなにも胸を圧迫してくれるものだとは想像もつかず、最高の観劇体験を味わわせてくれたことに驚いています。「ウェアハウス」のお芝居で見えた且弥さんの真綿で締められるような恐ろしさが「象」にも現れていました。「象」は大どんでん返しもなく、淡々と進みますが、金縛りにあったように舞台から目が離せないのは、且弥さんが緻密に作り上げた間とテンポにあるように思います。少しでもずれれば恐ろしさや不気味さ、不快感が半減してしまうであろうセリフのテンポの良さが観ていて心地よかったです。会話のテンポは良くても内容は不快でしたが。(笑)

斎藤さんの脚本も目が覚めるような言葉選びで、松山の過去から始まる場面の「笑顔は服従のサインだ」という台詞に頭を殴られたような衝撃を受けました。その台詞により、わたし自身も呪いにかけられて、「笑顔」という本来はプラスイメージのものがその後はずっと本来の意味で受け取れなくなりました。たった一つの台詞で支配させる言葉選びに衝撃を受けました。

「象」は斎藤さんの脚本、且弥さんの演出、7名の役者のお芝居のひとつひとつでも強い力を持っている上に3つともきれいに合わさり、それぞれの力をさらに引き出しあっていました。

 


何度も手紙で書いている言葉なので、説得力が弱くなっているかもしれませんが、安西くんのお芝居を観続けてよかったと改めて思いました。「象」のような舞台と出会わせてくれてありがとうございます。

(中略)

改めて、舞台「象」全公演お疲れさまでした。これからも舞台に立つ安西くんの姿がたくさん見たいので、ご自愛ください。

(後略)